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Aug
1st
Sat
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自由を求めるイラン 三層における「自由」

(1)
私のイラン人の友人から昨日いただいたコメントです。
市民社会フォーラムに紹介する了解をとっています。

イランでは毎日のようにデモ行進が行われている。
「イラン・イスラム共和国」と言われていたが
国民の大多数がイランの共和制とイスラム性に異議を唱えている。
昨日のデモ行進に「独立・自由・イラン的共和制」のスローガンが合唱しされていた。
大統領選後からの国民の抗議デモでは数十人も殺され・拷問を受け、
数千人以上も受傷し数百人も逮捕されている。
自国民を簡単に傷つけ、拷問し、殺すと言う「神聖な政治体制」が存在するか。
イラン指導部のファシスト的な本質が暴露されたようです。
国民の抗議は大統領選の不正を機に拡大したが
この段階に来てそれ以上の要求にスカレーターしても仕方はない。
体制の根本的な改革が必要になった。


(2)
 「市民の撮影したビデオ・写真いくらでもある。
すべて国家・政府の犯罪を立証できるものです」
 とイラン人の友人が紹介してくれた
映像と音楽を見て心を打たれましたので
みなさんにも紹介します。
よかったらクリックして音楽とともに映像をみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=C-tt9jZWf3o
 
題は
「Ransom… To those who have lost their lives in IRAN to claim their Right, FREEDOM!」
(自分たちの権利、自由を求めて、イランで生命を失った人々へ)
 

(3)
このコスモスには存在の三層
(フィジカル=物的身体的レベル、サイキック=知的心理的レベル、スピリットレベル)
があります。

フィジカルなレベルでは、人々の本当の自由のためには
交通ルールがあるように、自由に制限をかける必要があります。

しかし、知的心理的レベルとスピリットのレベルは
完全に自由でなくてはなりません。
そこに抑圧があってはいけません。


この原理に
私たちの資本主義諸国も、
イスラム原理主義イランも
旧共産主義も
反しました。


今の資本主義経済では
富は一部に集中し、他方で不足と貧困が生じます。
人々が生活不安から解放されるには
どうしも「自由」に制限をかける「ルール」が必要です。

今の政府は「新自由主義」と称して、派遣労働なと
資本家が労働者を安くこき使う自由を拡大してきました。
これはフィジカルなレベルの自由であり、
このレベルでの「自由」はルールによって規制すべきです。

他方、イラン革命はアメリカが支援する国王独裁を倒して
自由をもとめる革命を成功させたのに
新たに宗教原理主義政権が生まれました。
そこでは知的心理的レベルとスピリットレベルで
自由に制限がかけられました。

したがってイランの人々は、知的心理的レベルの自由をもとめて、
再度、立ち上がっているのだと思います。

(4)

時代に対応した闘争を工夫する必要があると述べたサーカーの言葉です。

「社会は動的な実体です。
絶えず変化しつつある障壁を打破するための際限のない闘争によって進歩しなくてはなりません。
社会は変化する状況と新しい難関に答えるために様々な方法で備えなくはなりません。
過去に経験してくてはならなかったタイプの闘争は、
現代に経験しなくてらならない闘争と同じものではありません。
そしてまた今日の闘争は未来の闘争と同じではありません。」
P.R.サーカー

吉見道夫
ユニバーサル・フォーラム会員 http://www.universalspiritjp.com/
「アルタナティブの探求」http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/

Jul
2nd
Thu
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イランの民衆運動をどうみるか

イランの民衆運動をどうみるか         吉見道夫  (ちょっと長いですが、関心がところだけでも拾い読みしてみてください) (1) 先日、大統領選挙後のデモへのイラン政府の弾圧に抗議する集会に参加しました。 50人くらいの参加で最後にペルシャ語、英語、日本語で決議が読み上げられました。 「発表された選挙結果に対して抗議する平和的なデモ行進で、 なぜ、死者を負傷者がでなくてはならないのか。・・ 私たちはイランにおけるあらゆる暴力をすぐにストップすることを求める」 (2) 「①アフマドネジャドニメジャドが民衆の側なのか、 アフマドネジャドに反対しているのが民衆の側なのか、 ②どちらが暴力的なのか, ③何をもって「民衆の側」と言うのか、 その判断基準はどこにあるのか」 という論点をいただきました。 改革派のムサビ派の側もアフマドネジャド派の側も 1979年のイラン・イスラム革命を勝利させた 主要な民衆勢力です。 しかし、その両派の違いのニュアンスは 次のユーチューブのニュース映像を見るとわかると思います。 前半にアフマドネジャド派の選挙集会があり、 後半にムサビ派の集会があります。 http://www.youtube.com/watch?v=qiBmZOZJ2ak&feature=related 黒一色のアフマドネジャド派に対して ムサビ派に参加している人々の雰囲気が違うのがわかります。 そして参加者「自由」を口にしています。 (上記のユーチューブ一つみれば、十分なのですが、 関心がある人のために別の映像を紹介します。 http://www.youtube.com/watch?v=MKI2mNhG1hU これもアフマドネジャド派とムサビ派の集会がでてきます。 両者が交互にすぐにかわりすぎて雰囲気が識別しにくいかもしれません。 http://www.youtube.com/watch?v=TVL50UiRdkc&feature=channel アフマドネシャドとムサビのテレビ討論 今のイランの選挙の様子がわかります。 改革派に参加した青年をおいながら、 携帯やネットを活用した選挙運動をしています。 http://www.youtube.com/watch?v=Ho_0qRFFMVk&feature=related 自由広場での革命記念日の集会での アフマドネジャドの演説の様子 「アメリカに死を」「イスラエルに死を」を叫びつつ オバマの対話の提案を受ける用意があると述べました。 (この革命記念日の集会参加者は、 決して北朝鮮のような官製動員ではないことに注目する必要があります。) (2) ではアフマドネジャドが選挙でどれくらいの支持だったのかについてですが 前の大統領選挙で改革派のハタミに勝った時は アメリカのイラク侵略がありました。 アフマドネジャドのような人物の説く 「それみろ、やはりアメリカは大悪魔だ」 という方がそのときに説得力があったと思います。 アメリカなど西洋文明と対話をとく改革派は支持を失います。 しかし、アメリカ大統領選挙でのオバマの勝利は、 西洋文明との対話を許容する改革派に有利な情勢を生み出した と思います。 NHK放送大学の高橋和夫教授は、私の大学時代の知人です。 http://ameblo.jp/t-kazuo/entry-10282701866.html 発表された選挙結果は圧倒的に アフマドネジャドの勝利でした。 高橋氏は、選挙不正があったどうか判断材料をもたないので 発表された選挙結果が正しいとして と断って論じています。 なぜアフマドネジャドが大統領選挙で圧勝したか その理由の一つを次のように述べています。 「それはアフマドネジャドの通常の活動である。 具体的には全国を訪れ、地域の不満を聞き、 それに対応してきたという過去四年の実績である。 いわば恒常的選挙活動である。マクロ経済の視点から見れば、 問題のある手法である。 各地で不満があればバラマキで、対応するわけである。サンタクロース方式は、 近代国家の経済運営ではない。 しかし、マクロ的な経済の改善は見られなくともミクロ的に自分たちの生活を良くしてもらった庶民は、大統領の支持者になる。」 私も高橋氏が言うようにまた新聞に書かれているように アフマドネジャド政権は、貧困層を支持基盤にしていると思います。 記事一覧の中の http://ameblo.jp/t-kazuo/entrylist.html イラン大統領選挙の分析の5回分に 日本のイラン研究の専門家としての彼の見解が書かれています。 (3) 1979年のイラン革命の時は、ホメイニーのカセットテープが シャー独裁政権が弾圧することができなかった聖なる場所である イラン中のモスクにもちこまれて、大衆を鼓舞しました。 今回は、インターネットの情報や携帯のネットワークが人々を立ち上がらせています。 したがって都市の中流層が主体と思われます。 アフマドネジャド側が、ホメイニー革命の正当な継承者であることを 訴えるのは理にかなっていると思います。 ホメイニー革命の主要な革命推進力は、 モスクの全国ネットワークに結集した農村からでてきた 元農民たちや都市下層の人々であったと思います。 1979年のイラン革命は、ホメイニーが最初、リベラルなことを言って すべての人々を反アメリカ帝国主義、反国王独裁の立場の人々を一つに まとめて巨大な人民的エネルギーをつくりだしました。 (CIAが1953年のモサデク政権を崩壊させた時、 アメリカはイギリスから石油利権を奪い 亡命していた国王を呼び戻して国王独裁をさせて 後ろでバックアップしていました。 またアメリカはイランに軍事施設をおき 国王にイエメンなどの民族解放闘争弾圧に派遣させるなど イラン国王政府を「アメリカ帝国主義の目下の同盟者」にしていました。 イスラムを原理として革命に立ち上がった聖職者ホメイニーなどの他に 穏健な有力な聖職者も革命に立ち上がりました。 もちろんリベラル派もホメイニーに結集しました。 ホメイニーは、イスラム宗教国家、聖職者統治をめざしましたが イスラムを原理とする革命家の中には アリー・シャリアティなど聖職者統治に反対した人々もいます。 イスラムの原理のもとに社会主義イランをめざした有力なグループに モジャッヘディーン・ハルクというグループがありました。 彼らは血の弾圧のなかでイラク側国境に逃れ、長く武装闘争を行いました。 http://en.wikipedia.org/wiki/People’s_Mujahedin_of_Iran 革命前にはイスラム社会主義派のモジャッヘーデン・ハルクの他に マルクス主義ではソ連派のツーデ(人民党) 自主独立のマルクス派のフェダーヤーネ・ハルクなどが 勢力をのばし、革命に役割を果たしました。 革命の最初の段階ではツーデ党、フェダーヤーネ・ハルクの一部も ホメイニーを支持しました。 モジャッヘーデン・ハルクとフェダーヤーネ・ハルクの一部は ホメイニのめざす聖職者統治の宗教国家に反対し、弾圧されます。 ホメイニーを支持する中で、革命後に勢力を維持しようとした ツーデ党、フェダーヤーネ・ハルクもホメイニーの指示を受けて 非合法化されて徹底弾圧されました。 イスラム民主革命派のモジャッヘーデン・ハルクは、 たしがホメイニー派が提案した聖職者支配のイスラム憲法提案の時点で 聖職者統治に反対し、徹底的に弾圧されていったと記憶しています。 (革命の情熱の中で聖職者統治に反対することは「非国民的」状況だったろうと推測します) このようにもともとイランには 1979年の革命で民主的な社会を求める民衆の力は大きく育っていました。 しかし、革命のダイナミクスの中で、民主主義を求める人々は破れ アメリカに従属する国王独裁政権にかわって 人民的なイスラム聖職者の独裁がやってきました。 上記のアフマドネジャド派もムサビ派に結集する人々も すべて一つになってアメリカ帝国主義と国王独裁政権を イスラムの原理のもとに倒した仲間でした。 しかし、普遍的な人間解放のスピリット とりわけ1979年革命の時までにイランの人々の中に 培われていた民主主義のスピリットは消えることがなく 今、ムサビを中心にした選挙不正抗議運動に結集する人々に そのスピリットが形を変えて顕現していると思うのです。 (4) 民衆の味方という時に、私たちは、民衆の質を丁寧にみなくてはなりません。 1960年代のイランの農村について調べたことがあります。 3分の1は、日本と同じように経営主体が家族にあるもので カスピ海沿岸がそうです。 しかし、砂漠の中の多くのデヘ(村)は、 農民はナサクという耕作権を、家族の中の一人があたえられ (耕作権を与えられない家族はホシュネシーンといって乞食同然の貧困に陥る) そして、毎日の畑仕事には、地主の手先から、どの畑を耕せと その日ごとに指示がなされます。 五人一組で耕作させられます。 これは奴隷制に近い質です。 この畑のここに水を引けば生産性があがるだろうと 勤勉に努力する意欲はまったく生まれません。 上からの指示をそのまま受け入れる 無学な農民大衆が生まれます。 イランの農地改革は、ほんの一握りの農家をのぞいて 大量に都市にそうした意識レベルの人々が流れました。 そして富裕な都市の生活を見た彼らにとって アメリカ帝国主義と結託するパーレビーシャーを 倒す革命の思想は容易に耳に入ります。 そして、それに変わって生まれる社会構想は 神の指示を解釈するムッラー(イスラム法学者)に 従うことが神に使える道という思想はストレートに入ります。 都市中間層にもう一人の民主的イスラム解釈のアリー・シャリアティや 左翼やリベラルがいましたが、 圧倒的な都市貧困層は、聖職者だけが 神の教えを解釈する権限をもつ聖職者統治という 思想を受け入れます。 民主的なイスラムや左翼やリベラルな思想は 昨日まで、奴隷制のような非主体的生産の場にいた 彼らには理解できませんでした。 この層こそ革命後に血みどろの権力闘争に勝利し、聖職者支配体制を支えた層です。 私は彼らがアンサーレ・ヘズボッラーであり、革命防衛隊であるとみています。 したがって、アフマドネジャドは、その支持基盤である貧困層にお金をまわしているだろうと いうことは容易に予想できます。 (これは、スターリンの支持基盤や、毛沢東の文化大革命の支持基盤や フランス革命後の殺戮を推進した過激派には その支持基盤となる大衆の主体性、個の確立度といった点で 共通の面があるかもしれません。) (5) アフマドネジャドの心的質は、ブッシュや安倍といった 自分の集団中心主義の狭い心の枠をもった人々と 共通するものがあると思います。 オバマの登場は、 ナショナリズム(民族集中心主義)や宗教原理主義といった 狭隘な心をもったリーダーが歴史の前面にでる時代から より普遍的スピリットをもった人物が歴史の前面にでる時代への 移行期を反映していると思います。 イランのアフマドネジャドは、アメリカのイラク攻撃への反作用として 登場したとみています。 「それ見ろ、アメリカは大悪魔だ」という原理主義者の主張が容易に 人々に受けいれられる土壌をつくってしまって 違う文明とも対話すべきとイランにおける改革派の立場を なくしてしまいました。 アフマドネジャド大統領は、ブッシュ大統領の対応物として 出現したと思います。 今、戦争でなく対話を呼びかけるオバマの登場が イランにおける改革派の立場を強化し、人々を鼓舞したと思います。 私たちは、ナショナリズム(民族集中心主義)や宗教原理主義といった 狭隘な心の人がリーダーとなる時代を終わらせなくてはなりません。 その点で、私は、今、イランで立ち上がっている改革派の人々に声援を送るものです。 (6) 日本で天皇制について「朝日新聞記者」が暗殺され、 天皇制を議論することがタブーになっていますが それと同じ構図かあると思います。 イランの国体である「聖職者統治」の是非が核心部分にあると思います。 テヘラン大学での授業にまで 原理主義者がやってきて妨害している様子を アブドル・カリーム・ソロウシュのケースでみてみましょう。 彼はホメイニーにしたがってイスラム革命に参加します。 テヘラン大学の教授です。 そして次第にイスラム型民主主義を説くようになります。 彼の授業は、アンサーレ・ヘズボッラーに攻撃されるようになります。。 戦前、右翼的な人々が、良心的知識人を暴力的に攻撃したようにです。 アンサーレ・ヘズボッラーは 最高指導者ハメネイ派の支持基盤です。 今のアフマドネジャド大統領もこの派だと思います。 革命防衛隊の中枢を握っていると思います。 私は次のように調べて書きました。 第1項[最高指導者のハメネイの非難] 彼の議論は、体制側には問題があるものとして受けとめられた。ホメイニーの後継者の最高指導者のハメネイ (Ali Khamenei) が、ソロウシュの論文と講演を批判しはじめた。しかし、ソロウシュの考えは体制の目からは一層許せないものに発展していった。合衆国大使館占拠事件を記念した1995年11月の演説では、合衆国 とイスラエル批判の時間よりソロウシュ非難の時間が長かったという。 第2項[アンサーレ・ヘズボッラーの攻撃] 1995年来、アンサーレ・ヘズボッラー(Ansare Hezbollah 神の党の支持者)のソロウシュへの攻撃は何度もなされ、彼の自由な活動は妨げれ、その身は危険な状態に置かれるようになった。。1995年5月にアミール・カビール大学 (Amir Kabir) のイスラム協会主催の講演を依頼されていた。流血の事態が予想されるとして出席を中止したけれども、ソロウシュは治安警察に逮捕され、情報省に連行された。集会に参加しないよう、テヘラン大学で講義しないように、外国にいかないように警告された。 1995年10月には、テヘラン大学に侵入した約50人の集団が、治安警察の目の前で、講演のために演壇に立ったソロウシュを襲った。彼のコップはこわされ、支持者たちとなんとか逃れた。2000人の学生の中には負傷者もでた。この事件の後に、テヘラン大学で学生が抗議集会を開催した。これはムスリム学生による大学でのその種の最初のデモンストレーションであった。 そのあとソロウシュは情報省によって尋問され、講演をやめ、宗教と政治、ヴェラーヤテ・ファギーについて論文を書かないように警告されている。 その後も「ナイフや棍棒」をもった集団がソロウシュと彼を支持する学生たちへの脅迫を続けた。脅迫の中で1996年4月、ソロウシュの担当する講座は4クラスから1クラスにされた。 http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/personal/soroush1.htm より。

Jun
8th
Mon
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愛のある建設的言葉が暖かい愛のある未来社会を作る

私も永瀬さんの
「どのようなことがあっても
決して口汚い言葉や破壊的な言葉を使うべきではありません」
に賛成です。
もちろん自分の反省を込めてですが。

(1)
人民の中に反搾取の意識を覚醒し、資本主義を超えてゆくべきだと説く
インドの聖者のサーカーのスピーチに
どんな時でも怒りに打ち勝ち、心の均衡(平静さ)を保ちつづる人なるなら
「あなたはどんな闘争においても勝利するでしょう」
という個所があります。

(心の均衡)

「不正を行う者は、また不正に悩みます。
不正を行う人々は、どんなもめ事であろうと心の均衡を失います。
いかなる不正も働かない者は、不正に対する戦いの中で
心の均衡を維持することが可能となります。
これはこころの静けさに達した者の特質なのです。

嫉妬と憎悪はあなたに眠れない夜を引き起こしかねません。
あなたの憎む人が逆境に苦しんでいる時、
通常あなたは彼を気の毒に思いはしません。
しかし、最も罪深いものに対してさえも、
あなたは慈悲心を持つべきなのです。
あなたは彼を気の毒に思わなければなりません。
・・・・
最も堕落した者、最も罪深い者、
最も不運な者でさえも軽蔑してはなりません。
もし誰かを憎むような事があれば、
あなたは精神的に後退するでしょう。

ブッダは説きます。
『真実(サティヤ)によって虚偽に打ち勝ちなさい。
寛大さによって貧欲に打ち勝ちなさい。
怒らないことによって怒りに打ち勝ちなさい』

あなたがなすべき心の努力は、決して怒らないということです。
不道徳と虚偽のただ中にあって道徳的でありなさい。
もしもこの技があるならば、
あなたはどんな闘争においても勝利するでしょう」

(2)
マルクスの資本論の中に、クモは、上手に巣を貼るけれども、
どんなに下手な大工さんもクモよりすぐれていると述べている個所がありました。
人間の大工さんはあらかじめ頭の中に設計図を描いている点が
すぐれているのだと論じてあったと記憶しています。

私はこの原理を広げて考えるべきだと思っています。

人間の社会は、言葉によって組み立てられます。
私たちが社会という建築物を組み立てる大工さんだとするならば
同じ原理で、すぐれた社会をつくる大工さんになるには、
言葉が重要になってきます。

人間社会の一切は、共有する言葉でビジョンをつくりながら
組み立てられています。

「口汚い言葉や破壊的な言葉」を発するならば、
劣化した破壊的な未来しかやってきません。
もし、「愛のある建設的な言葉」を発するならば、
温かい建設的な未来がやってきます。

だから、私たちが勝利するには
決して「怒らない」というレベルに達し、建設的な言葉で
話しかけることが必要なんだと思います。

そのとき、私たちが「どんな闘争においても勝利する」日が
やってくるのだと思います。

一番分かりやすい例は、
がなりたてる右翼の「口汚い言葉や破壊的な言葉」に対して
同じ質をもった「口汚い言葉や破壊的な言葉」を対置したというイメージです。
それは私たちを決して勝利に導かず、社会をますます悪化させるでしょう。

極左の人々の間違いは右翼と質的に似た「粉砕」とか
破壊的な言葉をつかっている点にあったと思います。

冷静な心をもって「愛のある建設的な言葉」を対置する時
人々は私たちを支持するでしょう。
そして私たちは確実に勝利者となります。


(3)
もちろん、様々の社会的不正に対して、
このフォーラムの参加者のみなさんは
「怒り」をもって立ちあがり、様々のすぐれた活動をされており
すばらしいことだと認識しています。
その場合の「怒り」とは、人間解放の普遍的スピリットからくる高次のものです。
ノルアドレナリンの分泌量が増大している感情レベルの「怒り」のことではないと思います。
・・・・

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大阪における与野党の構図とカメレオン型変節人間類型

(1)
どうして地方では民主党が自民党、公明党と組んでいるのかの疑問がありました。
私の住んでいる大阪のケースで
あくまで私個人のスタンスからどう見えるかを
紹介させていただきます。

大阪は共産党対四党
オール与党体制が長くつづき
その実質は今もつづいていると思います。


この前の選挙でオール与党が二つにわれて
大阪府は自公推薦候補が知事になり、
大阪市は、民主、社民推薦候補が市長になりました。


(2)
かつて大阪の社会党が日本共産党と
黒田了一知事を実現したことがあります。

しかし、二期目は、社会党は、変質しました。

(ウィクペディア 黒田了一)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E4%BA%86%E4%B8%80
「社会党の亀田得治大阪府本部委員長と共産党の村上弘大阪府委員長が記者会見・・・・」で
黒田知事を当選させます。

就任後は公約に掲げた公害規制をはじめ、老人医療無料化・府立高等学校増設など、
低所得者層を重視した福祉政策を取っていくが、
これが財政赤字を生み自民党や財界などからの批判を招いた。
加えて同和行政を巡っては社会党との軋轢が激しく、
もともと同党の大阪府本部は反共派が多いこともあり、
次第に同党は反黒田のスタンスを取っていく。」

そして公明党と社会党の推薦候補、、自民党推薦候補と
共産単独推薦の黒田候補との三つ巴の選挙で
共産単独推薦で黒田候補が勝利します。


「自民・新自クが中心となり、自治省出身で黒田の下で副知事を勤めた岸昌を
反黒田統一候補に担ぎ出していく。
社公民・社会民主連合もこれに乗る」
そして共産党と革新自由連合推薦候補の黒田知事対、
自民、社公民、社会民主連合などの候補との選挙で
黒田知事は僅差で負けました。


(3)
私の認識では、ここに大阪における共産党をのぞくオール与党体制の出発点があります。
このとき「亀田得治ら社会党の一部が離党して黒田を応援(ウィクペディア)」しています。
亀田得治氏は、その後一貫して革新統一実現のために働きます。

亀田得治(ウィクペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%BE%97%E6%B2%BB
「1946年、社会党に入党。・・・
離党後も土井たか子委員長に対し『拝啓土井たか子殿 革新の心を洗う』と題する
著書を書くなど、右傾化する社会党に警鐘を鳴らし続けた。」


(4)
社会党内の反共部分には、部落解放同盟の存在かあるとみています。
もちろん、もともとは部落解放同盟は人間の普遍的解放のすぐれたスピリットをもっていました。

部落解放同盟(ウィクペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F
しかし、「2006年あたりから一気にその実態が暴かれるようになっている。」とあります。

亀田さんが一貫した信念を貫き通した人であるのに対して
大阪のその後の社会党で主導権を握った上田卓三とその節操のなさについてみてみましょう。
上田は、日本共産党⇒ソ連派共産党⇒社会党⇒自民党(最後は自民党員で終ったと記憶しています)
その後継者の谷畑孝は、社会党⇒自民党

(小泉内閣の厚生労働副大臣、
小泉首相の靖国神社参拝を支持し、自衛隊イラク派遣や郵政民営化法案でも賛成票とあります)

上田卓三(ウィクペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8D%93%E4%B8%89_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
1958年に解放同盟へ参加。前後して日本共産党に入党するも、
志賀義雄らが部分的核実験停止条約の批准をめぐり日本共産党 (日本のこえ)を結成する
と後を追う。
(私はこれはソ連派共産党と認識しています)
その後解放同盟大阪府連書記長・委員長を歴任する。
1970年2月17日、同和行政の窓口一本化を求め、
約70名の部落解放同盟員と共に日本共産党議員控室に乱入、
暴行傷害事件を起こし、同年2月21日に共産党府議たちから告訴されるも、
上田個人は起訴を免れ、解同大阪府連吹田光明町支部長Tのみが起訴される(Tは1979年に罰金刑が確定)

・・・1974年の参院選で大阪府選挙区から日本社会党公認で出馬するが、落選。
2年後の衆院選で大阪4区から出馬して初当選する。
以後連続6期務め、この間飛鳥田一雄委員長の下で国際局長・田邊誠委員長の下で党副委員長を務めた。
1988年にリクルート事件が発覚した際には
リクルートコスモスの未公開株の譲渡先の一人であったことが判明し議員を辞職(1988年11月4日)したが、
折からの社会党のマドンナブームなどによる追い風もあって2年後の衆院選で国政復帰。
前年の参院選では自らの秘書だった谷畑孝(現在は自由民主党衆議院議員)を参議院議員に送り込んでいる。
(私の記憶では社会党崩壊後は、自民党に入党したという記憶があります。
いずれにしても彼の秘書を自民党から立候補させています。谷畑孝です。)

谷畑孝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E7%95%91%E5%AD%9D
上田卓三衆院議員の秘書などを経て、
1989年日本社会党公認で参議院議員選挙に大阪府選挙区から出馬して初当選。
1994年7月には村山内閣の通商産業政務次官に就任。
この社会党時代には部落解放同盟大阪府連合会副会長等。
自民党移籍後も部落解放同盟より推薦を受ける
2003年9月から2004年9月まで小泉内閣の厚生労働副大臣。
現在、自民党総括副幹事長、自民党大阪府支部連合会副会長

社会党出身ながら小泉首相の靖国神社参拝を支持し、
自衛隊イラク派遣や郵政民営化法案でも賛成票を投じている。
また、牛肉偽装事件で逮捕された浅田満が率いるハンナングループから、
自らの選挙で支援を受けていたことを2004年6月1日の参議院厚生労働委員会で認めている。

以上が、ウィクペディアの紹介です。


このような人には、ビジョンや信念があるのでしょうか。
亀田さんと上田、谷畑両氏とでは、どちらが信頼にあたいするでしょうか。
上田氏や谷畑氏のように社会党だから社会党の政策を実現してくれると思って
支持していたら、いつのまにか自民党の方針の実現にがんばっているのです。


社民党支持的な人々は
部落解放同盟に反対することは、差別の助長であるという意識があって、
オール与党体制を支持してきたのではないかと推測します。

大阪では、部落解放同盟が自民党から社民党まで
反共統一戦線の求心力になっいたと思います。
そうした構図が逆に
東大阪市などで共産党単独推薦市長を生み出したりする背景にもあります。

しかし、悪化する経済情勢や自公への批判意識の高まりの中で
反共統一戦線が二つに割れて、前回の選挙から
三つ巴になったと思います。

私自身は、孤立をおそれず、大阪の日本共産党が一貫して
オール与党体制と対決してきたことを評価しています。

日本共産党ではない党派の人々にも
せめて、亀田得治旧大阪府本部委員長のスタンスを学んでほしいと思います。


こうした大阪の流れは、
地方における民主党が自民党と組んでしまう理解の助けになるのではないでしょうか。

もっとも民主党の一部は、自民党の一部が割れている存在ですから
自民党と民主党が組むことは不思議ではない現象です。

私は、要するに今日の政治システムは、財が背後でお金の力で政治家をあやつっており
本当の支配者は、財界にあるみています。

超富裕者たちの支配に対して
いかに幅広い市民がめざめて
人民の人民による人民のための民主主義経済をめざす輪を広げるかが
重要だと思っています。

Jun
4th
Thu
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「呉東さんのマニフェスト」

私はこの「呉東さんのマニフェスト」を読んでとても共感しました。 http://kawaruyokosuka.web.fc2.com/manifesto.html 私の考えでは、選挙に負けようが勝とうが、 地域社会経済を良くしてゆくためにどうしても必要なビジョンだと思います。 事態を本当に解決できるようなビジョンを練り上げ、 幅広く市民社会の中に広げてゆくことが必要だと思います。 夢を共有し、みんなが共通の夢(ビジョン)を見るようになれば、 その夢は確実に実現に向けて独自のパワーを発揮してゆく そのように考えているのです。 この「呉東さんのマニフェスト」は、 今の社会経済に対する具体的なアルタナティブが書かれていると思います。 提唱させもらってききました「人民の人民による人民のための民主主義経済」への 現状のもとでの第一歩が具体化されているように感じました。 以下、「 」でマニフェストを引用しながら、コメントさせてもらいます。 「 地域循環経済(お金を地域内で何回も循環させること)による経済活性化を 」 =あらゆる小地域で、工業、農業、商業がバランスがとれて存在し 衣食住教育医療エネルギーが各地域で自給できることを可能なかぎり自給できることをめざす 立場からすると、この地域循環型経済のアイディアを人々に広げて共にめざすことは とても必要なことだと思うのです。 つづけて、 「地元経済活性化市民協働プロジェクト委員会をつくり、 市内外からの地域循環経済活性化の提案を積極的に採用し、実践します。 企業の撤退予防対策、施設の閉鎖対策をとります。 空き用地、空き施設の市民参加による地域経済本位、雇用本位の活用をはかり、 特にIT・高等教育研究機関・福祉、環境、自然海洋関連施設等、ソフトな持続的雇用の場の誘致活動を行います。 自然や海洋資源を活用した雇用・産業を起こし、農業漁業等1次産業の強化と雇用の誘導をはかります。」 =提案している民主主義経済では、その地域の「農業漁業等1次産業」の産物を原料として、 原料が生産される地域にその加工工業や1次産業に必要なものを生産する工業を起こします。 したがって、地域に雇用が生まれるのです。 原料がとれる場所にその原料の加工工業をつくり、 原料のまま他の地域に売りにだすのではなく、 その地域で完成商品にして売りにだすことは重要だと感じます。 それが本当の故郷おこしにつながります。 ずっと以前ですが、農産物自由化で和歌山のみかん農家が衰退していた時 ある村が若者が村にのこって活性化しているのをニュースでやっていました。 村役場の経営でその村にみかんをジュースに加工する工場をつくって 完成品にして他の地域に売りにだすのです。 そこで村に残って働く若者のための職場が生まれていたのです。 農業水産業などの一次産業と工業と商業のバランスをはかり 循環型経済にもってゆくことは、日本のすべての地域の課題ではないでしょうか。 そういうためには地域に根ざした中小企業が重要になります。 「中小企業の経営を守るため、緊急融資制度を活用・拡充し、 それに経営改善相談、未払い代金回収支援を組み合わせ、総合的にバックアップする。 また、地元の企業を市の資源(人、アイデア、補助金)をあげて守ります。」 =これはどの候補者もいうでしょうが、次が重要です。 「入札制度を地域経済本位に見直すとともに、 地元業者が受注する工事に対する補助金制度の創設・拡充など、地元業者への支援を強化します。 入札差益金を、地元業者によるリフォーム・バリアフリー・耐震防災・2世帯増築等工事補助金制度へ振り替えます。 防災工事を地元業者優先で発注し、高台と谷戸の生活環境の改善のため、増改築支援狭隘道路改善、生活移動支援事業を行います。 小規模修繕登録制度をつくり、地元業者が受注できる体制を整えます。 」 =これは新自由主義経済政策にまっこうから対決する民主主義経済政策です。 地域住民の地域住民による地域住民のための民主主義経済をつくるには 「入札制度を地域経済本位に見直す」ことが必要です。 新自由主義の経済改革では、いかにも自由と平等に見えますが 実際のところ、遠く離れた地域の人間が別の地域の経済を 支配する非民主主義的経済システムに他なりません。 次もすばらしいです。 地域の生産物の地域の人が買おうという運動です。 地域に自給的再生産圏を生み出すには、 こうした民主主義経済をつくろうという市民への呼びかけが必須だと思います。 民主主義経済をめざそうという自覚を市民の中に生み出す以外に 今日の難局から脱却できないと思います。 「地元産品の購入、地元での購入運動を全市的に行い地元商店街活性化につとめます。 地元商店街集客力アップへ、市の資源を提供し、 空き店舗の保育施設、教育施設、福祉施設、高齢者施設等への活用事業を推進し、 若者NPO等も参加してもらい、交流の拠点としての再生をめざします。」 そしてそのためには、どうしても広い地域を支配する大規模店舗への規制が必要になります。 「大規模店舗の出店の規制、地域店舗保護のための条例をつくるとともに、 商店街活性化のため駐車場等の施設整備を行います。 」 私は、選挙に勝とうが負けようが、 この夢(ビジョン)を実現する運動をつづけてほしいと思います。 事態を打開する力をもった夢はかならず、正夢になってゆきます。

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破綻した巨大企業や銀行⇒国有化⇒民主主義企業(人民営化)

(1)
経済には素人ですが、紅林さんの問題提起を興味深く読ませてもらいました。

「日本でも旧・日本長期信用銀行(長銀、現・新生銀行)の一時的「国有化」
が行われたが、1998年に経営破たんした旧・長銀は、一時、「国有化」され、公的
資金は約8兆円投入され、そのうち4兆円以上が国民の税金で穴埋めされ、
「再建」した後、2000年に、米リップルウッド社らの投資組合、パートナーズ社に
たった十億円で叩き売られた。」
とあり、
まさくし、政治的民主主義の外皮のもとでの
「超富裕者の超富裕者による超富裕者のための政治」が現在なされているんだなあと思いました。

結論の部分の
「社会の基幹的生産手段が、私的に所有、管理されるべきではない。
それは、公的に、 労働者や民衆によって、労働者や民衆のために管理されるべきである。」
の方向は、「人民の人民による人民のための民主主義経済」の考えと重なります。

(2)
そこで、そのビジョンを実現するための道筋を提案したいと思います。

(1)破綻した巨大企業や銀行⇒国有化⇒資本主義企業(民営化)へというコースに対するオルタナティブは
(2)破綻した巨大企業や銀行⇒国有化⇒民主主義企業(人民営化)と私は考えています。
(3)破綻した巨大企業や銀行⇒国有化⇒国有

(1)と(3)はどちらも中央の少数者が決定する非民主主義的経営です。
(2)が、そこで働く労働者が生産手段を共有して民主的に運営する企業ですから、
資本主義を超える生産関係ということができます。

「人民の人民による人民のための民主主義経済をめざす民主主義革命政権」
が成立したら私は、(2)の方向をめざすべきだと思うのです。

たとえは、日本長期信用銀行やGMの株式をその従業員に長期ローンで譲渡したらどうでしょうか。
新GM約60%を政府が所有しているわけですから、民主主義革命政権が
民主主義経済をつくる決意をすれば可能になります。
重要な企業や銀行が人民営の民主主義企業になれば
社会全体の経済民主主義の推進に重要な役割を果たすだろうと思うのです。


(3)
民主主義経済は、
①公共的な部門、基幹部門は、非営利の公的経営であり
②小規模の経営は、個人経営であり
③中・大規模の一般企業は、民主主義企業(協同組合)となり
経済の中心は協同組合のネットワークになります。

協同組合とは、要するに従業員がその企業の所有者であり、
経営幹部を選出したり、経営幹部や従業員への給与などについても
働く従業員が決定権をもつことになります。



大企業の従業員が株式の過半数を所有することが、
その従業員が生産手段を協同で所有することになるのかどうか定かではありませんが
従業員にローンで株式を売却する際に企業システムの民主化を義務づけるなから
企業構造の重要な転換点になります。
下から役員を選出してゆく重層的な民主主義構造に企業を変革してゆくこととが
同時に追求され、事実上、従業員の合意で運営される協同組合的運営になります。
もちろん経験と能力とモラリティの高い人物が経営陣に選出される必要があります。
それは民主主義的な企業システムでも十分に可能だと思います。

(4)
そうすると今のように経営幹部と極端な差が開かず、
一般の労働者の方に利益がまわるために
購買力が強化されます。

現在の資本主義は、非民主的経済であるために
一部の富裕者と投機に莫大な貨幣が集中し、
一般の人々の間での貨幣の回転が阻害されます。
それが今日の経済苦境を生んでいると認識しています。
民主主義経済でば、今日のようなひどい事態がおきなくなります。

Apr
30th
Thu
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市民社会の諸運動を統合する市民社会フォーラム

  (2006年の投稿を短くして再録したものです)                                                                 吉見道夫 1)多様性における統一の場としての市民社会フォーラム  私は、このフォーラムは、世界社会フォーラムにならって、 「政党としては参加しない」形で進んでほしいと思っています。 個人として何党に加入していても問題ないですが、 政党所属はあきらかにせずに、中身で議論してゆきたいと思います。 その理由はいくつかあります。 理由の一つは、私はこの市民社会フォーラムが、歴史上初の政党を「含んで超えた」会として発展してほしいからです。  このフォーラムの中でいろいろな方がおられ、共産党であれ、社民党であれ、新社会党であれ、民主党であれ、公明党であれ、自民党であれ、その他どのような政党に所属されていても問題ないと思います。 むしろ、私はいろいろな政党にかかわっている方が参加されて、ともに認識を深める場として、 その中で友好関係が生まれた人たちはどんどんさらに関係を深めたらいいと思います。  問題は、社民党系に参加すれば、情報は社民党系の情報だけになり、 共産党系に参加すれば、情報は共産党系だけになります。・・・系に参加すれば・・・だけになります。  このフォーラムにすばらしいところは、・・・政党系だけでなく、 さまざまな自発的なグループもたくさん参加されて情報の交流が、おこなわれていることです。  各政党は各政党でがんばっていただけばいいと思います。 わたしたちは、政党を変えるのではなく、「含んで超える」新しい「市民社会」をつくってゆくべきだとおもうのです。 その新しい「多様性を認め合った」市民社会が、政治に影響するようになるときが本当の民主政治だと思います。 政治が市民社会に号令するのではなく、市民社会の合意が政治に反映するようになるのをめざすのです。 そうなると「市民社会フォーラム」が多様な立場の人々をのみこんで発展する必要があります。 2)市民社会フォーラム運動のさらなる発展のために 日本社会では「多様性における統一」の考え方が普及せず、 一般の人々は、強いものにまかれるか、大多数の雰囲気に迎合するかです。 そして明確な考えをもった人々は、「多様性を前提」とした連帯と友好を発展させることはありませんでした。 そのため世界社会フォーラムの原理憲章にあたるものが必要だと思っています。 前にも申しましたが、たとえば、 「誰も市民社会フォーラムを代表して見解を述べる権限はない」 「政党や宗教団体としての参加はなく、個人としては、どの政党に所属しようが、宗教団体に所属しようが参加できる」 「多数決は取らない」とか定めます。 そして「参加者一人一人の認識を深め、多様な連帯を生み出す場」という性格をもつフォーラムであることが人々に浸透するならば、 この市民社会フォーラムは発展しつづけると思うのです。 (だから、HPの市民社会フォーラムの参加呼びかけの後ろに、このような諸原理を世話人会で話しあって掲載するのがよいのではないかと思います) 実際、この市民社会フォーラムは、代表者もいないし、多数決もとりません。 あるのは、フォーラムの世話人だけです。 このような会は、20世紀にはありませんでした。 これは画期的なことです。 この市民社会フォーラムは党派を「含んで超えた」市民レベルでの自由な交流への可能性を切り開きつつあります。 各党派を否定するのではありません。「含んで超える」のです。 今は、日本社会の中の潜在的な可能性にすぎませんが、大きなうねりになる萌芽だと私は見ています。 そして、日本社会が次の社会サイクル段階を迎えるころは、 多様な考え方をした人が相違を認め合って交流することは当然だという雰囲気が支配的になります。 P.R.サーカーの文章です。 「メディアがコントロールされていても、搾取された大衆から、 搾取者たちの人々を騙すテクニックを見破った知的な人々が現れる日が来ます。 この段階で、自由の種子の発芽を妨げるために、搾取者たちは、知的に活発になります。 彼らは、教育システム、出版、宣伝機関をコントロールし、 押し寄せる大衆の不満のうねりを抑えるために堤防を高くする最後の絶望的な企てをします。 しかし、まもなく変革の日はやってきます。 ヴィクシュッダVisubdha シュードラ(不満をもった大衆)が 反抗revoltに立ち上がり、革命revolutionの波によって高い砂の堤防を洗い流します」P.R.サーカー ヴィクシュッダVisubdha シュードラ(不満をもった大衆)とは 私は大衆の生活状態に低下した純粋力作型の人々のことだと考えます。

Apr
10th
Fri
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「日本革命の展望」

                                       吉見道夫 

論点をわけて論じさせてもらいます。
①「革命」を何と定義するのかだ
②当面する日本の「革命」が「社会会主義革命」か「民主主義革命」かの論点。
③民主主義と社会主義の定義
この三つに分けさせていただきます。

①の「革命」をどのように定義するのかからはじめます。

(中位の社会サイクル)

私は、「革命」を社会サイクルの転換点の意味でつかっています。
社会は大きな波(回転)、中くらいの波(回転)、小さな波(回転)です。
日本史における中くらいの波は
1603-1868、1868-1945、1945-20??
と展開しています。

一つの構造が成立します。維持されます。展開します。崩壊します。
次の構造が成立します。維持されます。展開します。崩壊します。
これは限りなく続く過程であり、歴史を振り返れば分かるように
永久に続く過程です。
ある構造の末期になると
構造矛盾の激化により
今私たちが見るように多くの犠牲者が生まれます。
だから、犠牲者を減らすために
私たちはその劣化した構造を終わらせ
次の構造成立を早める必要があります。

もちろん、構造の成立、維持、展開の過程においても
絶えず、人民の反搾取の意識を覚醒させ、
不正義に対する集合的な圧力をかけつづけるべく
市民社会において「多様性の統一」のもとに
意識レベルの高い人のネットワークが歴史貫通的に必要だと思っています。
私はそれが、世界において「世界社会フォーラム」運動であり
日本において「市民社会フォーラム」にその萌芽を見ています。

市民社会での広範な反搾取、反抑圧の意識覚醒は
は、スターリン独裁や毛沢東の文化大革命みたいことがおきない
保障になります。
もちろんチェルノブイリや様々の反人民的なことをおこさせない
保障になります。


(人類史の巨大な社会サイクルが終ろうとしている)

中くらいの波を述べましたが
大きな波も見ておく必要があります。

人類の歴史を振り返りますと
原始社会→古代社会→中世社会→近代社会→
これを「マルクス主義」風に述べると
原始共産制社会→古代奴隷制(含む総体的奴隷制)社会→
中世封建制社会→近代資本主義社会→
サーカーの社会サイクル論の大きな波はは
シュードラ(大衆)時代→クシャトリア(武=勇)時代→ヴィプラ(知)時代
→ヴァイシャ(財)時代として現代があり
シュードラ(大衆)革命がおき、あらたなクシャトリア時代という
人類史の新しい時期が始まるとしています。

サーカーの言葉です。
「この世界が始まってからずっと、支配権力は
ある階級あるいは別の階級の手に握られていた。
ずっと昔は、支配集団の能力は獣のような野蛮な力によって決まった。
初期文明の出現以後モ、ラージャや王やマハラジャは
自分たちの身体的な強さに依拠して、支配した。・・・
時を減るにつれて知力が発達し、他者を統治する不可欠の要件が、
身体的な力から知的能力(企画力や思考力など)にとって代わった。
さらなる経済発展によって、貨幣が重要になった。
貨幣を所有する人々は、教養ある人々の知識、そして勇者の勇気と力をコントロールした。
それゆえ、統治する権威は、貨幣を所有する階級、
すなわち資本家階級に移っていった。」P.R.サーカー

この世界は動くパノラマです。
そして大きな波の中に中くらいの波があり、その中に小さな波があります。
人類史の一つの大きな波の最終局面に来ています。
貨幣を所有する極端な富裕者たちが富を集中させすぎたので
他方で大衆の生活苦が増加します。
資本主義の中心であるアメリカ合衆国にそれが典型的にあらわれています。

今まで超富裕者支配に追随していた知力ある人々、勇気ある人々の中に
大衆の生活に転落するものが増え、
その人々が大衆革命のリーダーとして歴史の舞台に出てきます。
そして大衆を率いて各国で革命を起こします。
この過程がヴェネズエラを先頭としてラテン・アメリカで生じつつあります。
人類史の転換が生じつつあるとみます。

(革命のリーダーシップ)

次に革命のリーダーシップについてです。
大衆自身は歴史の表面の物的な波にすぐにあおられてしまいますから
革命に向けて安定した指導力を発揮できません。
革命のリーダーシップは、大衆の生活に転落した知力ある人々、勇気ある人々の中からでてきます。
そこで、大衆の境遇に共感できる
様々な立場の知力ある人、勇気ある人を「多様性における統一」のもとに
世界的に連帯させる必要があります。
それがチョムスキーたちがやっている「世界社会フォーラム」だと思います。
日本版が「市民社会フォーラム」と見ているわけです。

私の認識では、今、私たちは人類史の一サイクルの末期に来ています。
新しい人類史の段階を切り開くリーダーシップは、
財と貨幣の力におもねらないチャベスのような闘士型の勇気ある人間だと思います。
それを知力ある人が補佐します。
心ある資本家のマインドの人も応援する人がでるでしょう。
(全体としては資本家のマインドの人、とりわけ超富裕者たちは反革命の立場をとるでしょう)


(資本主義の消滅過程と経済民主主義の深化)

サーカーは、一方で「資本主義は花火のように炸裂するでしょう」と言い、
別のところでは、ソ連などの共産主義は「早死にするでしょう」と述べた後
「資本主義は老衰で死滅してゆくでしょう」と述べています。

私は、今、100年に一度の世界恐慌で資本主義は「花火のように炸裂している」と思います。
そして、ラテン・アメリカのようにいずれ、日本を含めて民主主義革命がおきます。
つまり人民のための経済にしようとする勢力が勝利してゆきます。

そして、①小経営、②協同組合経営(民主主義企業)、③非営利の公共部門の三種類の経営をビジョンとして
徐々に資本主義企業が協同組合経営(民主主義企業)のネットワークを主とする経済に転化してゆきます。
この過程をもって社会主義化と言うことができます。
労働者が生産手段を共有するからです。
労働者が生産手段を共有し、自分たちが代表を選出し、合意の上で給与配分や経営の運営などが進められる段階がきた時
はじめて、社会主義的生産関係ということができます。

サーカーは、人々の合意がないのに押しつけたら必ず失敗すると述べていました。
すなわち民主主義革命で人民のための経済をつろうと決意した勢力が政権についても
決して社会主義化を人民におしつけてはいけないのです。
経済民主主義を重視し、合意のもとで社会主義を進めてゆくべきだと私は考えています。

この過程が「資本主義が老衰して死んでゆく」過程だと思います。


②当面にする日本革命の展望

したがって、②の論点、すなわち当面する日本の「革命」が「社会会主義革命」か「民主主義革命」かの論点について
考えることができます。

私の記憶では、宮本顕治著『日本革命の展望』では、革命は権力の交替であり
日本は、高度に発達した国家でありながら、アメリカ軍に半ば占領されており
日米の支配層が掌握している権力を人民の側が掌握するテーマであるから
「社会主義」の課題ではなく「民主主義」の課題が日本革命の課題となる。
というものだったと思います。

私は、1945-20??は、日本国憲法の理念が
日米軍事同盟によって歪められているという認識をもっていますから
やはり来る日本革命の内容は日本国憲法の全面的開花という民主主義的性格を帯びます。


民主主義革命政府は、安保条約を廃棄し、世界と友好関係を結び、
世界政府設立を世界に訴え、成立した世界政府に戦力を集中させることを宣言し、
憲法9条を世界にアピールします。
そして核兵器も世界政府に集中させた時点で、世界議会で廃絶決議をめざします。
もちろん人権と民主主義も、参加型経済民主主義の追求の中で
さらに発展して、日本国憲法の理念は豊かな実りをみます。

そして民主主義革命政権が追求する民主主義経済は、
上述の経営の三形態と地域住民が下から参加型民主主義による下から合意を積み重ねる計画経済を追求します。
そして可能な限り、小地域において生活必需品(衣食住教育医療エネルギー)の自給が可能になるように
地域再生産構造を生み出すことを目標にしてゆきます。

上述したように、企業が民主化ないし協同組合化し、
そこで働く人の共有となり、民主的運営になった時に
社会主義ということができます。
まず、民主主義革命、その後、徐々に合意によって社会主義という筋道が
一番筋がとおっていると認識しています。

旧来型で、国家権力をとって、社会主義を押しつける路線をとるなら
社会主義革命だと自己規定してもよいでしょうが
それでは国家資本主義しかできあがりません。
私たちはその愚はくりかえすべきではないと思うのです。

③の民主主義と社会主義の定義ですが
私は、今日の政治民主主義から、経済民主主義に
民主主義を深化させるべきだと思います。、
中央の一部の人が経済決定権をもつ非民主主義経済が資本主義経済です。
これを民主主義経済に作りかえることをめざしてこそ非民主的資本主義経済を超えることができると
考えます。

社会主義とは、真に自分たちが働いている企業が自分たちの共有になった時にその社会に社会主義と
ネーミングすることができると思います。

私はそのようにとらえています。
ただ、もちよりいろんな考えがあっていいと思いますので
他の考えがいけないといっているのではありません。
私の考えを紹介させてもらいました。。
社会主義革命をめざす人も、めざす社会ヴジョンが一致すれば、
「多様性における統一」できると思います。
もちろん資本主義の枠内で改良をはかる人々とも
民主主義経済をめざす点で一致できると思います。

私は、今日の資本主義経済のあり方へのアルタナティブを出し合って
よりベターな未来への夢をみんな共有することが大切だと思うのです。

参考
以上のメールは、以下の提起に対して
当面する日本革命は社会主義ではないのか
という意見に対して、
さらに詳しく私の意見を述べたものです。


『日本革命の展望』の中で宮本顕治は
日本の課題は、日米の支配層の手にある権力を
人民の側にもってゆく民主主義的性格をもった革命が
日本の政治変革の課題であって、
社会主義革命が日本革命の課題ではないと論じていたと思います。
この見地は、私たちの社会サイクル的見方とも一致しています。

社会の基本構造は成立、維持、展開、崩壊を繰り返してゆきます。
1603-1868年の基本構造の大黒柱は徳川幕藩体制でした。
1868-1945年の基本構造の大黒柱は、絶対主義的な天皇制でした。
1945-20??年の基本構造の大黒柱は、
 日本国憲法の背後でそれに制約をかけている日米軍事同盟体制です。
20??-からの基本構造は、日米体制によって制約をかけられている日本国憲法が
名実とともに大黒柱となり、日本は、平和主義、基本的人権、民主主義の具体化を国内外で押し進めます。

この日米軍事同盟の制約から日本国憲法を解放し、そのビジョンを積極的に内外に実現してゆく課題をもった革命は、
社会主義革命というよりも民主主義革命の性格をもっていると思います。
もちろん、民主主義革命の段階でも、
合意をつくって民主主義経済を推進してゆく段階でも
「多様性にもとづく統一」の立場で
社会主義をめざす人々とも資本主義社会を改良する立場の人とも
ともにネットワークを組んで進んでゆくことが可能だと思います。

吉見道夫 ユニヴァーサル・スピリット・ジャパン会員
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/

Mar
21st
Sat
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小地域を生活必需の自給的再生産圏に  新自由主義グローバル経済への対案

コメントありがとうございます。 (1) 引用していただいたところは、 「日本農業復活は急務、「原料の生産地に加工工場を」 農村地域復活へ」 http://blog.goo.ne.jp/yoshimimichio/e/93709805fdec6db36eeeb0325f9b7490 に載せたところだと思います。 先にいわんとすることを述べさせてもらいます。 それは各小地域ごとに、「農業生産に必要な工業」と「農産物の加工工場」を 作り、各小地域が生活必需品を再生産圏と編成すべきだということを 主張したものです。 世界の各地域を外需依存の経済体質に変えてきたのが この間のグローバル新自由主義資本主義だと思います。 ちょうどソ連崩壊前にソ連は工業、東ヨーロッパは農業という感じで 国際分業論が言われていたと同じに見えます。 どちらも少数の中央の幹部が決定権をもつ非民主的経済構造なので 中央地域に貨幣と富が集中するように経済が編成されてしまいます。 そうした中央決定権に対して、地域住民が 「住民の住民による住民のための動的民主主義経済」を打ち立てるさいの 経済ビジョンはどうあるべきか。 「政治民主主義と経済民主主義 ホラーキー型地域経済構造への展望」 http://kitsumi.tumblr.com/post/61145971 の後半部分にホラーキー型地域経済構造としてやや詳しく論じて 投稿させてもらいました。 小地域の人々が自分たちの生活に必要なものをまず自給して その上で、中地域の範囲で、半生活必需品が自給でき さらに大地域の範囲で、非生活必需品が自由に交易される というイメージです。 (2) 動的民主主義経済として「動」をつけました。 この世界に存在する一切は、絶えざる変化の過程、流れの過程にあります。 経済の需要、供給もまたしかりです。 ある一定時期にバランスがとれていても、 それが永続するわけではありません。 アフリカの果物やアメリカのブロッコリをスーパーでみますが 私は、最近、日本のものを買うように心がけています。 米はかろうじて日本産を維持できていますが 米生産の巨大企業家たちは、アメリカ政府をつかって 日本にさらなる自由化をせまってくるでしょう。 今や米も含む農産物そして水までもが 国際的な商品となろうとしています。 需要と供給は様々な要素から絶えず変動します。 この変動に対応して すべての人類が安定した 経済生活を送ることができるようにするには 次のどちらの道をとるべきでしょうか。 一つは 一般社員の100倍、1000倍の報酬を得る 巨大企業幹部たちの推進するような 小地域の再生産構造の破壊し 中地域の再生産構造を破壊し 国際分業をすすめながら 大大地域単位での再生産構造に してゆくものです。 この道では、経済は発展しますが 一部の極端な富裕者が、多数の家族生活の犠牲の上にさらに肥え太ります。 そして需要と供給の変動の中で、中産層も時期が来れば、 今日私たちが見るように、バランスが崩れるときに大きな被害を被ることになります。 これは、一部の超富裕者が経済決定権をもつ非民主的経済構造だからそうなると思います。 もう一つは 地域住民が経済決定権をもつ民主主義経済の探求です。 ベネズエラ革命がそれをめざしているように思えます。 私のイメージでは 生活に必須ものが小地域で生産され、消費されている。 (これは経済政策の中で追求できる) 生活に半必須のものが、中地域で生産され、消費されている。 (これは関税政策が使える) 生活に非必須のものが、大地域で生産され、消費されている。 (自由貿易) (必須、半必須、非必須は、時、場所、人に応じて変化し その地域の人々が決定する権利があります。 たとえば、日本では今やコンピューターは、半必須商品であり またアメリカでは、自動車は半必須商品かもしれません。) この道だと、生活に必須のものは、小地域でまわっているわけですから 需要と供給の変動に対して、小地域が絶えず調整してやってゆけます。 地域の人々は生活が脅かされることはありません。 今のように遠く離れた地域に出稼ぎにゆく必要はないので 人間的な家族生活をすべての人に保障することが可能になります。 これは、小さい回転の輪がたくさん集まり 中くらいの回転があり それがあつまって大きい回転があり さらにあつまって大きな大きな回転があります。 小、中、大の回転にささえられて、 大きな大きな回転もバランスをもって継続します。 内部の小、中、大の回転をゆがめ、破壊した上で 大きな大きな回転として成り立たせようとする グローバル新自由主義資本主義経済の推進は 人類社会にとても大きな迷惑になっていると 思います。 (3) 中国が内需拡大に農村地域でテレビが売れるように テレビを買う人に政府が補助する政策をやってる番組を見ました。 当面の措置として外国に売れなくなった分を自国に売れるように すべての国が内需拡大の努力をしないといけません。 すべての国が内需拡大の努力をしなくて外需だのみという エゴイズムをしていたらさらなる破局を回避できません。 春闘で、日本の巨大企業の経営者たちは自分たちの報酬については何もいわず そしてまったく内需拡大の努力をみずからしませんでした。 これは、経済運営の能力を経済界のリーダー層がすでに失っていることを 意味していると思います。 素人が考えても力をもつ巨大企業が率先して内需拡大策を考えないといけないのに 自分の会社主義のエゴイズムが邪魔しているように見えます。 さて、中国が内需拡大策をとるのはいいことですが 当面の策として支持できるものの 残念ながら それぞれの小地域で 「農業生産に必要な工業」と「農産物の加工工場」を 作り、各小地域を生活必需品を再生産圏と編成するという 視点に欠けています。 この道こそ、今日の経済のあり方の対案だよと 私は主張したいと思います。 (4) そこでレオニードさんに指摘していただいた点です。 「仮にすべての地域が衣食住、教育、医療、エネルギーの自給自足を 達成したとしたら、それらが余る地域は他の地域の緊急時を除けば 余剰分を輸出することができなくなります。すると、それらの地域 は例えばコンピューターや自動車などを輸入するための外貨も稼げ ないこといなります。」 生活必須の商品はその国のすべての人が必要とする部分を のぞいた部分だけが輸出できます。 その輸出分は、他の地域の人々にとっては たとえば食べ物に満ち足りていても めずらしい産物なので、買いたくなります。 その国の得意な産業を増産して外貨はかせげます。 すべての地域の人々の生活に必須のことがらが その地域でまわっていることが大切だと思います。 吉見道夫 ユニヴァーサル・スピリット・ジャパン会員 http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/ 市民社会フォーラムへのこれまでの投稿 http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/mokuji.html

Mar
13th
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恐れから自らを解放する時、われわれの存在は同時に他者をも解放する  ネルソン・マンデラ

南アフリカの解放に導いたネルソン・マンデラの言葉

「あなたは神の子である。
あなたが、遠慮しても世界の役に立たない。
まわりの人が気後れしないようにとあなたが身を縮めることは何の美徳でもない。
われわれは、自らの内にある神の栄光を現すために生まれてきたのだ。
そしてそれは限られた人々のものではなく、すべての人の内にある。
われわれが、自らの内にある光を輝かせるとき
無意識の内に他者に対してもその光を輝かせている。
われわれが自分のもつ恐れから自らを解放するとき、
われわれの存在は同時に他者をも解放する。」
ネルソン・マンデラ大統領就任演説1994年

私もこのネルソン・マンデラと同じように考えています。

他にも同じような視点を見つけました。
アンブレナンの言葉からです。
http://michioheal.tumblr.com/post/66928415
ここで言う「神」は宗教で言う神とは違います。

この世界は、一なる無限の存在が変容し、展開しているものであり
したがって私たちの心の奥底は、
誰も一つの一なる無限の存在の輝きを
もっているのだと思うのです。
そこに私たちの団結と連帯の共通の基盤があると
思うのです。

他者が輝いて生きることを阻害する非民主的な経済システムを
変革すべき人類史的な課題に
私たちは直面しているのだと思うのです。